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2017年07月| 2017年08月 |- ブログトップ

牛肉よりも豚肉よりもヒツジが好き。石田めん羊牧場のサウスダウンは旨かった [旅]

可愛いは旨い。

不謹慎極まりないかもしれないが、こと羊に関してはまさに可愛い羊は旨い。
おそらくこれまで食べてきた羊はサフォークだったはずだ。
サウスダウンという品種を飼っている石田めん羊牧場で取材した。
場所は北海道足寄(あしょろ)。


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サウスダウン。
顔も毛むくじゃらで、お尻がプリプリでとにかく可愛い。
以前、長野でサフォークを飼っている人から、
「放牧して青草を食べさせると臭くなる」
という話を聞いた。


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ところが、石田めん羊牧場の石田さんは放牧し、青草も平気で食べさせていた。
一般的にラム(月齢12か月未満)が旨いと信じられている。
あるいはホゲット(月齢12か月から24か月)もおいしいと言われている。
方や、マトンは食えたものではないというのが、一般的な常識だ。

石田さん曰く。
「食糧難の時代、関税なしのマトンが大量に入ってきました。

肉用種ではない、肉が付いていない羊毛種が、マトンとして、まだチルドではない時代、

冷凍でぐるぐる巻きにされて入ってきた。そりゃ旨くないはずです」
うちのマトンを食べたら、これまで思われてきた常識がくつがえると石田さんは言い放った。
これまで最高齢は13歳のマトンを出荷したことがあるが、「とても旨かった」というのだ。

ただ、そんなに旨いマトンはなかなか出荷しないし、できない。
なので運がよければマトンにありつけることができる。

石田めん羊牧場直営のヒツジ堂で、羊料理を食らった。

トリッパ。ヒツジの内臓を食べる機会はまずない。


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羊のグリルも旨し。


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石田めん羊牧場では、羊乳を搾っている。
羊乳。まず飲む機会がないはずだ。
貴重な羊乳を少し試飲させてもらった。
生クリームのように濃厚で、とにかく甘い。
石田めん羊牧場の羊乳で作ったチーズも取材した。


エイ出版社の料理雑誌『ボオーノ8月号』で連載中の「職人レストラン」をご覧ください。


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やまつ辻田の粉山椒はモニカ・ベルッチのようにグラマー [日本料理]

「あんなもん」
「別に」

というのが、これまで自分の粉山椒に対する評価だった。
ウナギを買えばとりあえずついてくるし、担々麺を出す店に行けば、それなりに粉山椒がおいてある。
とりあえずかけて食べればいい。

おそらく、中島と同じように、大半の人が粉山椒にことを「別に」と思ってきたはずである。
ネットで香りを伝えられないのが残念でしかたがないが、

「あんなもん」でも「別に」ではない粉山椒を体験してしまった。
今年の3月だったか、デパートの催事で「やまつ辻田」の辻田さんが粉山椒を売っているブースに近づいた瞬間、

辻田さんのまわりに〈粉山椒の香りの壁〉ができていた。
粉山椒の香りがむんむんしていたのだ。
色も鮮やかで、奥深いグリーン
ウナギを買うと付いてくるシロモノとは、モニカ・ベルッチとその骸骨ぐらい差があった。

モニカ・ベルッチのようなグラマスな粉山椒をどう使うのか。
ウナギや担々麺にしか使ったことがなかったが、辻田さんは親子丼にかけても旨いという。


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あるいは、粉山椒3に対し、塩を1を加えて塩粉山椒を作る。
これを鶏の唐揚げにかける。


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もしくはフライドポテトにふる。


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もうひとつ。
粉山椒を配合した七味唐辛子がこれまた。
香りよし、奥深い味が素晴らしい。
これをすき焼き食べる際、溶き卵にドバドバと入れて肉を食らう。
すき焼きの〆に、溶き卵にご飯を入れて食べても旨かった。


エイ出版社の料理雑誌『ボオーノ8月号』でやまつ辻田の粉山椒を取材した。
モニカ・ベルッチのようなグラマスな香りを含む粉山椒をぜひ体感すべきだと思う。

大阪に「居酒屋ながほり」という名店がある。
「野菜の甘酢あんかけ」がこの店の十八番なのだが、仕上げにやまつ辻田の粉山椒をかける。
今回、この料理のレシピをご主人の中村さんに伝授してもらった。


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「あんなもの」
「別に」どうでもよくない粉山椒があることを知らなかった自分は不幸だった。
素直にそう思う。

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『ポケットの中の博物館』の記事をFunmee!!で読んでいただけることになりました [Funmee!!]

中央のドデカイのは、いったい何だ?
アラジンの魔法のラップでもなければ、銅鍋でもない。
ウイスキーを醸造するためのポットスチル。
これはかつて大分県日田市にあったニッカウヰスキーの工場で使われていたもので、
マッサンこと、竹鶴政孝が2基作ったポットスチルのうちの1基だ。

高嶋甲子郎さんは、ニッカウヰスキーのお宝を、日田工場長を拝み倒し、入手した。

亭主がこんなものを持ってかえってきたら、女房の逆鱗に触れるに違いない。
拙宅の女房なら、ひと月は口をきいてくれないはずだ。断言できる。
「あんた、そんなガラクタ、どうすんの?」

そこへいくと高嶋さんの奥さんは、できた人らしく、
旦那の遊びにはいっさい口を出さなかった(らしい)。
いまから10年前になるかなあ、高嶋さんに初めて会った時、
体育館のような自社工場の隅に、このポットスチルが転がっていた。

「ナカシマさん、いつかポットスチルを展示する博物館を作ります、
待っててくださいね」
そんな大ぼらを吐いていたものだ。
(できわけないじゃん)
正直そう思っていたのだが、高嶋さんは洋酒博物館を日田市に設立した。
バーが隣接しているので、グラス片手に博物館を見学できる、粋なミュージアムだ。


えい出版社の雑誌『ライトニング』で好評(?)連載中の
「ポケットの中の博物館」を、
『Funmee!!』というサイトで読んでいただけることになりました。もちろん無料。
どうしても払いたい人はスイス銀行の口座にお願いします。
https://funmee.jp/


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てれふぉん博物館を『ライトニング9月号』で取材しました [宣伝]

ライトニング9月号』の
「ポケットの中の博物館」で電話コレクターを取材しました。
てれふぉん博物館(ミュージアム)の館内は、電話で埋まっていました。
見たことのない電話ばかり。
日本電気や沖電気などの国産で、すべて日本国内で使われていたものばかり。


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電話コレクターは電話だけでなく、
電電公社の備品なども集めているのですが、もっとも驚いたのは電話帳でした。
まもなく終戦記念日
終戦から7か月後の昭和21年3月に電話帳が発行されていました。
空襲で焼け野原になった東京で、すぐに電話を復活させ、
しかも電話帳も発行したとは。
終戦直後の東京をテレビドラマなどで観るし、
主人公が電話を使うシーンも登場します。
けれど、主人公が電話帳をめくるシーンは観たことがありません。
だからかもしれませんが、電話帳の存在をまったく気に留めませんでした。


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写真中央が昭和21年3月に発行された電話帳(電話番号は昭和20年11月現在)で
168ページ。
ちなみに右の電話帳は昭和15年8月発行、左は昭和25年発行。
薄っぺらい電話帳だけど、焼け野原を歩き回り、
電話を持っている家や住所を確認し、
電話帳を発行したのはかなり大変だったと思います。
けれど、「俺たちがやらずに誰がやるんだ」
と思いに突き動かされたに違いない。
終戦記念日がやってくる8月に、偶然にも、
この電話帳を紹介できたことを嬉しく思っています。

撮影/藤田修平


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